一九四〇年九月の北部仏印進駐から翌年七月の南部仏印進駐を経て日米開戦に至る過程に関して、日本で頻繁に語られる解釈は、米国が資産凍結、石油・屑鉄禁輸といった様々な対日圧力を加え、それが日本を真珠湾攻撃に追い込んだというものである。これは、日本人のメンタリティーからすれば受け入れやすい。それは、自分が、「忠臣蔵」における浅野内匠頭のような立場だと主張できるからである。だから。ローズヴェルト陰謀説などを採っている日本人も、そうした心理が反映されている。「ボクは、何も悪くなかったもん」という幼児的な心理である。
しかし、井上は、第二次世界大戦序盤、フランスがドイツに占領される状況に乗じて日本が北部仏印進駐に踏み切ることには反対したし、南部仏印進駐に至っては、それを「火事場泥棒」と評した。井上は、当時の米国が加えた様々な対日圧力を呼び込んだのは、実は、そうした「国際慣例」にも違背した日本の「火事場泥棒」的対応に他ならなかったと指摘し、それ故にこそ、その過程で「我慢をした」のは米国であったと認めたのである。
しかし、井上は、第二次世界大戦序盤、フランスがドイツに占領される状況に乗じて日本が北部仏印進駐に踏み切ることには反対したし、南部仏印進駐に至っては、それを「火事場泥棒」と評した。井上は、当時の米国が加えた様々な対日圧力を呼び込んだのは、実は、そうした「国際慣例」にも違背した日本の「火事場泥棒」的対応に他ならなかったと指摘し、それ故にこそ、その過程で「我慢をした」のは米国であったと認めたのである。